いきさつを読む
長女の大学授業料を振込完了。入学書類の送付締切は2026年1月9日消印有効ですが、年内に済ませておきたい気持ちが足を動かしました。年末のATMは長い行列ができているのに、私の目指す場所だけなぜが一人も並んでいません。これは何かのメッセージなのか、変に勘ぐってしまいます。
現金を引き出すことなく、預金残高から振り込まれます。あっという間の送金。画面に残高表示されると、「あー、お金って貯めるのは大変だけど、消費するのは簡単だな」思わず嘆きたくなるような心境です。それでも、これでひとつ私の役割は果たせたのではないかと安堵感に包まれます。
決して経済的に余裕があるわけはありません。長女には常に上を目指して欲しい、だから「お金がない」などと弱音を吐きたくないのです。むしろ、私が仕事を頑張る理由にしたい、いや、すでに頑張る理由になっている。私がやらなくて、誰がやるのか、そんな責任感が湧き上がってきます。
私が子供の頃、父親によく言われた言葉。「お父さんは先が見えているけど、直紀は何にでもなれる」食事になると、私を諭すように何度も繰り返します。当時は同じ話を聞くことが、苦痛に感じていたのだと思います。口答えをして、頭を殴られた記憶も残っています。
長女と入学後の話をしていると、私の中で父親の言葉が炙り出し文字のように浮き上がってきます。私の父親は、私の可能性を否定したことがありません。親バカなのか、常に私を過大評価してくれるのです。私もこれからの長女がどんな道を歩むのか、期待せずにはいられません。
私自身も来年4月から新しい道を歩み始めます。どうして53歳でこの行動ができるのか、異議を唱える人も少なくありません。明確に出た答え。それは私が子供の頃に植え付けられた、父親の言葉が土台となっているのです。だから、年齢関係なく自分の可能性を信じて挑戦を続けられるのだと。
まさか年末に、こんなことを回想するとは。知らず知らずのうちに、父親の考え方が私の遺伝子に組み込まれていたのでしょう。父親が私を信じてくれた時間が、私自身を信じる力、長女を信じる力の源です。ぽっかり空いていたATM。最初に感じた何かのメッセージ、やはりこれだったのか。











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