次女の寝言に思う父親の役割

最近、私にはどうしても気になることがあります。それは次女の寝言です。

我が家の夏は、省エネを兼ねて家族全員が一つの部屋で寝るのが習慣になっています。次女は妻とダブルベッド、私はソファベッド、長女はマットレスという配置。

次女は毎晩22時半には寝室に入り、23時には熟睡。私はもともと眠りが浅く、ちょっとした物音にも反応してしまう性格なので、夜の変化にはすぐに気づきます。

その夜も、日付が変わる頃でした。心地よい疲労感とともに眠りに落ちようとしていた私の耳に、はっきりとした声が飛び込んできました。

「どうしよう…どうしよう…どうしよう…」

まるで誰かと会話をしているかのような言葉に、私は思わず起き上がり、辺りを見回しました。妻も長女もぐっすり眠っていて、声を発しているのは次女。

私は声をかけることもなく、ただ寝息が戻るのを祈るような気持ちで見守ります。そして再び静けさが戻ると、「ああ、何事もなくてよかった」と胸をなでおろすのです。

翌朝になるとその様子は一変。リビングで朝食をとる次女は、まるで何もなかったかのように元気いっぱい。ときには鼻歌まで口ずさみ、機嫌の悪さを見せることはほとんどありません。

勉強も部活も自分から進んで取り組み、文武両道を地で行く姿は、親の私から見ても「本当にすごい」と感心させられます。

弱音を吐かず、毅然と振る舞うその姿勢は立派ですが、それだけに寝言に表れる「不安の影」が気になるのです。

あの「どうしよう…」という言葉は、心の奥に潜む迷いや不安の叫びのようで、昼間の彼女とはまるで別人に思えます。「本当は誰かにもっと頼りたいのではないか」と考えずにはいられません。

父親として私にできることは限られています。無理に聞き出すのではなく、そばで静かに見守ること。表情や言葉の端々に現れる小さな変化を見逃さず、いつでも話せる体制を整えておくこと。

きっと、それが今の私に求められている役割なのでしょう。

次女の寝言は、彼女の心の奥から漏れ出た小さなサイン。父として、そのサインを軽視せず、これからも静かに寄り添い続けたいと思います。


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