母が教えてくれた愛と支え 〜大学進学の原点を振り返って〜

母と過ごすかけがえのない時間
昨日は母と一緒にお昼ご飯を食べました。特別なご馳走ではありませんが、母と向き合って過ごせる時間は、私にとってかけがえのないものです。

母と話すと、不思議と心が落ち着きます。生まれてからずっと私を見守ってきた存在だからこそ、私の一番の理解者なのだと思います。悩んでいることも、母に話すと驚くほど明快に答えが返ってくるのです。

大学進学を支えてくれた母
今から約33年前、私は大学に入学しました。現役では合格できず、浪人生活を経ての進学です。進学先は神奈川県。岐阜から遠く離れた土地での一人暮らしを余儀なくされました。

入学が決まった春、母と二人で現地に向かいました。賃貸契約を済ませ、家電量販店やホームセンターを巡って生活に必要なものを揃えたことを今でも鮮明に覚えています。炊飯器、冷蔵庫、布団一式…。身の回りの物を整えるだけでも大きな出費でした。

それに加えて、大学の授業料、毎月の仕送り…。当時の母は離婚をしており、経済的に決して余裕がある状況ではありませんでした。普通に考えれば、とても子供を大学に行かせられるような環境ではなかったのです。

では、なぜ私を大学に送り出してくれたのか――。

母の答え
「どうして、俺を大学に行かせてくれたの?」
「そうだね、正直お金はなかった」
「じゃ、どうして?」
「『俺の夢は大学進学』って言ったからね」
「俺そんなこと言ったの?」
「そうだよ、でも応援する決心ができた」

母の頭の中には、当時のやりとりが鮮明に残っていたのです。私自身、そこまで大学進学に執着していたことを知り、驚くと同時に「これが自分の本質なのか」と気づかされました。

自分で選んだ道だから後悔がない
振り返ると、自分で選んだ進路だからこそ後悔は一つもありません。もし他人の言葉に流されてなんとなく決めた進路だったなら、きっと心のどこかにずっとしこりが残っていたことでしょう。

母は、そんな私のわがままを受け止め、夢の実現を支えてくれました。これは紛れもなく母の愛情の証だと思います。母の周りにはいつも人が集まってきます。その理由は、母が「愛」を心の真ん中に持っているからに違いありません。

今度は私が母を支える番
母は現在75歳。「今が一番幸せ」と微笑みながら言います。52歳の私にとって、母はいまも道標のような存在です。これまで多くを学ばせてもらいましたが、まだまだ学ぶことがあると感じています。

ただ、これからは私が母を支える番です。母が私を幸せにしてくれたように、今度は私が母の支えとなり、笑顔を守っていきたい。そう強く思うようになりました。

母と過ごす時間は有限です。だからこそ、日々を大切にしながら、母の幸せに寄り添っていきたいと思います。


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