「運」は貯めて使うもの――書籍『運転者』がくれた小さな気づき

    昨日の夕方、一冊の書籍「運転者」を読み終えました。いつものショッピングセンターの、いつもの場所で読書に没頭します。夏休みということもあり、学生や小さな子供を連れた親子で賑わっています。決して読書をするには、相応しい環境ではありません。

    私が座る背後には、男子学生の4人組がゲーム機を持ち込み大盛り上がり。騒がしい環境の中でもひときわ目立つ存在で、読書の妨げになるには十分の理由です。ーーん、雑音が気にならない?きっと耳の近くで叫ばれても、集中していたことでしょう。これも読書の力でしょうか。

    私は3分の2以上読み進めていた書籍を手に取り、いよいよ終盤へと向かうストーリーに胸を躍らせます。読書をする時間が久しぶりなので、それまでの記憶を呼び覚ますところからスタート。すぐに自分のペースを取り戻し、本の世界観に引き込まれていきます。

    書籍の深く考えさせられる内容に魅せられて、ページをめくる手が緊張で震えます。エピローグの最終行までたどり着くと、このまま本を閉じるのが忍びなくなります。「これで終わりか?」ーーなんとなく不完全燃焼。結末までに解消できるであろう疑問が残ったままです。

    帰宅して妻に「あの書籍、もう読んだ?」と質問。実は友人からのおススメで、同じ書籍を購入していたのです。「まだ1ページしか読んでない」と予想外の返答。書籍にあまり興味がない様子、感想を共有できそうもありません。一体著者の意図は何だったのだろうか。

    とりわけ私の心に残った文章。

    「運はいいか悪いで表現するものじゃないんですよ。使う・貯めるで表現するものなんです。先に貯めるがあって、ある程度貯まったら使うことができる。運は後払いです。何もしていないのにいいことが起こったりしないんです。周囲から運がいいと思われている人は、貯まったから使っただけです」(本文より)

    疑問を残しつつも納得できるメッセージです。仕事の成果を「今回は運が良かったんです」と報告した時に、上司が「それまでの努力が報われたんだよ」と労ってくれたことを思い出します。書籍と同じ作用が働いているのではないかと、過去の体験が確信になる一瞬でもありました。

    書籍から得られるのは知識だけではなことを実感。活字は想像力を掻き立て、独自の世界を作り上げる力があるのではないでしょうか。読み手の解釈は千差万別、そこにこそ面白さがあるような気がします。次回はどんな書籍に出会えるか、どんな影響を受けるのか、自分の変化を楽しみます。


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