相変わらずの猛暑、もはや「暑い」という言葉すら口にしたくないほどのレベルです。そんな中、今私は快適な空間でノートパソコンの前に座っています。その場所とは「関市立図書館」です。正確にいうと、図書館入口の手前にあるホール。まるで外とは別世界、気持ちよくタイピングを進めます。
私は岐阜県関市の出身、理屈抜きにして心が安らぐ環境があります。ホールは天井も高く、広いスペースが確保されているため、小さい子供なら走り回りたくなるほど。窓際には円を描くように設置された長いカウンター、そこでは社会人や学生がそれぞれの学びに集中しています。
私は一人掛けのソファに腰を下ろします。クッションにボリュームがあり、体全体が優しく包まれるような感触です。テーブルの向こう側には、立派な額縁に入った絵画の展示が並んでいます。しばらくその光景を見ていると(絵に興味があるわけではないが)、無心状態に陥ります。
図書館に向かう人、絵画を見ている人、子連れの親子、のんびり過ごす高齢者、さまざまな人が各々の時間を過ごしています。もちろん私とは面識がなく、会話するきっかけなどあるはずもありません。目の前を小学生の男の子が、元気よく走り去っていきます。
なぜでしょうか。知る由もない人々に、温かい目線を向けたくなります。理論上は他人(当たり前すぎます)、話しかけでもしたら驚かれることでしょう。紫のスカーフを首に巻いた60代後半の女性が、スマホを片手に寛がれています。その風貌から、勝手に親近感が湧いてくるのです。
建物自体は近代的で、清潔感に満ち溢れています。私が子供の頃は別の建物か、もしくは田畑が広がっていたような土地です。過ごした時代が全く違うにもかかわらず、同じ空気を吸っているように感じてしまいます。親子の楽しい会話が聞こえてくると、幼少期の自分が想像されます。
生まれ故郷を離れて30年以上経ちます。神奈川県藤沢市、愛知県岩倉市、そして現在地と過ごしてきました。その間は時間に追われるような生活で、故郷に想いを向けることなどほぼ皆無。心のどこかで勝手に理由を作って、避けていたのかもしれません。故郷を離れることを正当化していたかも…。
年を重ねたせいでしょうか(きっとそれだけではない)、「故郷に触れていたい」と想うのです。子供が涙を流しながら、親に甘える時の心境に似ています。こんなことを書いていると、気恥しさが湧き上がってきます。言えることは、間違いなく正直な姿勢であること。
午後からは母に会います。きっと、子どもの頃の話をたくさんすることでしょう。しばしタイムスリップして、50代のおじさんが心だけ子どもに戻るひとときを楽しみたいと思います(笑)。
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