おばあちゃんと「蜜柑色の夏休み」

福山雅治さんの楽曲、「蜜柑色の夏休み」は私の子供の頃を記憶を蘇らせてくれます。なぜならば、その歌詞が私の大好きだったおばあちゃんと重なるからです。おばあちゃんは、私が高校生のときに亡くなりました。私に惜しげもなく注いでくれた愛情は、その後もずっと心の中に遺っています。

当時、両親は共働き。小学校から帰ると、「おかえりー」と作業場からおばあちゃんの声がします。母屋の裏に建物があり、そこで内職の仕事をしていたのです。即座にお小遣いをおねだり、100円玉を1枚もらって隣の駄菓子屋さんへ走ります。毎日欠かさずやっていたこと、夢のような時間でした。

私はそろばんの習い事をしていました。無性に行きたくない気持ちになってしまった時、おばあちゃんが囲まってくれました。「行ってきまーす」と言ってそろばん塾へ行ったふりをします。向かった先は作業場、そこでおばあちゃんと合流です。しばらくそこで過ごした後、何食わぬ顔で帰宅するのです。

どんな場面でも、おばあちゃんは私の味方。父親に酷く叱られて涙を流していた時も、「よしよし、もう泣かんでいい」と言って私の頭を撫でてくれました。おばあちゃんの背中におんぶ、おばあちゃんの膝を枕替わり、おばあちゃんの顔から眼を逸らさない、甘えたい放題です。

「fu uh uh おばあちゃんの あったかい笑顔」の歌詞に触れた時、再びおばあちゃんの優しさを胸いっぱいに感じるのです。福山さんの柔らかな声が、これでもかというくらい語りかけてきます。アコースティック調のメロディーは、温かみがある緩やかな音色です。

私はご年配の方と話をすると、肩肘張らず和やかな気持ちになります。変に言葉を選ばず、自分を押し殺すことなく、正直な自分を表現することができるのです。なぜか。「おばあちゃんからもらった愛」が、私の潜在意識にしっかりと根付いているからだ思います。

「おばあちゃん、ほんとありがとね」と、たくさん生きている時に言いたかったな…ごめん。これからも私にとって福山さんは、なくてはならない存在。その歌声、そのメロディーは、大切な人を想起させることでしょう。

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