今日は父の日。私には75歳になる父親がいます。実はここ8年ほど、まともな会話ができていません。ある出来事をきっかけに、お互い距離を置くようになってしまいました。当時の私は最善を尽くしたつもりでしたが、今振り返ると別の選択があったのではないかと後悔することもあります。
仕事をしていても、家で過ごしていても、どんな時も私の心の片隅に父親に対する想いがあります。今朝、起きて真っ先に頭の中に出てきたのは父親でした。だから、父親との思い出を存分に語りたくなったのです。文章にすることで、自分の気持ちを整理できると思いました。
父親を一言で言うなら、「厳しい人」です。特に勉強に対しては熱心で、子供の頃は毎晩横に付いて教えてくれました。夜7時になると父親と一緒に勉強部屋に向かいます。漢字テストで合格をもらえると、教室の掲示板に合格シールが貼られる。父親は私をクラスで成績トップにしたかったようです。
時にはビンタされることも。父親は口下手なところがあります。言葉で上手く相手に伝えることができなくて、どうしようもなく手が出てしまうのです。そういったことは勉強だけではく、いたずらをした時や反抗した時によく叩かれました。私は泣きました。体の痛さよりも、妙に心に響いて涙が溢れます。
食事をしている時によく言われた言葉、「直紀、一流の大学行ったら、次は大学院だ」と。学歴へのこだわりは、いろんな場面で伝わってきました。母親が、「そんなこと言って、学費はどうするの」と父親に問うことも。そんな時に父親は、「お金は何とかする、学歴は一生ついて回る」と力強く答えるのでした。
退職前の父親は毎日早朝に新聞配達、それが終わるとバイクで遠く離れた会社に向かいます。退職後も隠居することなく、バス運転手の仕事をしていたこともあります。本当によく働く人です。母親は、「そこだけはいいところだね」と冗談交じりで話します。私の働き方も、どこか似ているような気がします。
何不自由なく育ててもらったこと、大学まで行かせてくれたこと、九州へ家族旅行したこと、屋台ラーメンに行ったこと、プールで遊んでくれたこと、少年サッカーを経験できたこと、プロレスごっこをしたこと、ビデオデッキ(昔は珍しかった)が自宅にあったこと、全ての出来事が父親の愛情表現だったのです。
そして、今想うこと――父親に会って素直に謝りたい。私は父親の期待に応えるのが、ひとつの喜びとして生きてきました。それなのに喜ばせられていない、期待に応えられていない、笑顔にできていない、そう思うのです。頑固な父親ですから、「今さら何だ!」と怒られそうな気がします。
ふとした時に想像します。父親と小さな居酒屋のカウンターに並んで座り、酒を酌み交わすことを。瓶ビールを注文、お互いのグラスにビールを注ぐ、つまみはシンプルに枝豆。男同士で、腹を割って生き様を語り合う。そんな日が来ることを夢見ています。
「お父さん、親孝行できなくてごめん」
「俺は、お父さんの息子だ」
「必ず、成功して喜ばせるよ」
「だから、うん、頑張るね」
父の日は私にとって特別です。胸にこみ上げるものがあります。明日も父親の姿をどこかで思い浮かべることでしょう。
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