茶封筒の重み ― 新聞配達が教えてくれた、お金と働くことの意味

私は中学生時代に新聞配達のアルバイトをしていました。早朝に友達と二人で、400世帯ほどの郵便受けに朝刊を届ける作業です。始めることになったきっかけは、お小遣いが欲しいからだったと思います。いただいたお給料でゲームソフトやマンガ本を買った記憶があります。

最初はアルバイトというよりは、好奇心だけで作業をしていました。中学生にとって、「働いてお金をもらう」ということが大人になったような気がして楽しかったのです。周りの友達からは、「すげー、お金持ちだな」なんてことも言われました。なんだか自分が偉くなったような感覚さえありました。

毎朝5時に起床、自転車で10分ほどの新聞置き場へ向かいます。自転車のかごと荷台に、新聞を目いっぱい積んで配達をスタート。新聞紙の重みで、自転車のハンドルが思うように操作できないこともありました。特に年末年始は折込広告がたくさん入ることで、さらに腕にかかる負担が大きくなりました。

たくさん失敗もしました。一番多かったのは寝坊。気が付いたら朝7時を過ぎてしまい、急いで新聞を配達。配達所には、「あれ?まだ新聞が届いてない」と問い合わせが入ることも。雨の日に自転車を倒してしまい、積んていた新聞が地面に散乱。水浸しになった新聞を見て呆然、どうしていいかわからず涙をこらえた苦い記憶もあります。

そんな辛い経験もありましたが、お給料をもらうことで一気に吹き飛びました。現金が入った茶封筒を手渡しでもらいます。中身はお札と硬貨が入っていて、とても重みのある感触を覚えています。それまでの作業が茶封筒に全て集約されていて、働くことの意味を学んだのではないかと思います。

中学生の私が経験したことは、大人になった私の金銭感覚の礎になっていると感じます。私はお金を使うことにいつも慎重です。衝動的に買い物をすることは滅多にありません。これは本当に必要なものか、お金を出す価値があるのか、買う時期は最適なのか、よく考えて消費をしています。

大人になれば、働いてお給料をもらうことは普通なのかもしれません。私は中学生でそれを経験しました。本来なら中学生ですから勉強や部活動に熱中する時期です。私の場合はそこに目を向ける機会が少なく、大人が働くことに興味がありました。お金を稼ぎたいという願望も培われたのだと思います。

好きなことを、思いっきり、躊躇なく、集中して、やり遂げる。中学生の自分も、52歳の自分も、本質は変わっていませんでした。自分は自分のままでいい、もっともっと自分らしく走り抜けます!