今から33年前、私は日本大学農獣医学部に入学しました。高校卒業後は1年間の浪人生活を送りました。成績は決して良くはなかったのですが、「どうしても大学へ行きたい」という強い想いがあり、挑戦を決意。予備校では高校時代とは打って変わって勉強に集中し、念願の合格を勝ち取ったのです。
なぜそこまでして大学に行きたかったのか。今振り返ると、それは父親の影響が大きかったように思います。子どもの頃からとても厳しい父でしたが、毎晩勉強机に向かって熱心に教えてくれました。時には頭を叩かれ、涙を流しながら問題に向き合ったこともあります。
そんな父の期待に応えたい――。その気持ちが、私の原動力になっていたのだと思います。もちろん、自分自身にとっても大学合格は大きな喜びでしたが、それ以上に父が周囲に誇らしげに語ってくれたことが何より嬉しかったのです。学歴社会の中で苦労した父だからこそ、私には同じ思いをさせたくなかったのだと思います。
大学生活は、一言で言えば「最高の時間」でした。私の人生の中で、もっとも濃い思い出が詰まった時期です。特に、友人たちと過ごした時間は今でも心に残っています。みんな一人暮らしだったこともあり、毎晩のように誰かの部屋に集まっては語り合い、飲み明かしました。中でも恋愛話は盛り上がるテーマで、励ましたり、助言をしたり、時には大笑いをしたり……話題が尽きることはありませんでした。
学生でありながら、アルバイトを通じて社会経験も積みました。最初に始めたのは居酒屋での仕事。簡単な調理を担当し、包丁さばきも覚えました。カウンター越しに常連さんから「なおちゃん、ビールご馳走するよ!」と声をかけられ、一緒に飲んだことも。スナックに連れて行かれた時はさすがに緊張しましたが、良い思い出です。
学業については……正直、ギリギリの卒業でした。出席しても後ろの席で寝ていることが多く、友人に代返してもらったことすらあります。試験では不正を疑われて無効になることもありました。今思えば、もっと真剣に勉強すべきだったと反省しています。将来を見据えて資格取得や自己研鑽に時間を使っていれば、もっと可能性が広がっていたかもしれません。
それでも、私が大学に行った価値は「出会い」にあったと断言できます。浪人してでも手に入れた大学生活の中で、常にそばにいたのは友人たち。授業も、アルバイトも、サークル活動も、すべてが仲間との笑いに包まれていました。その思い出は色褪せることなく、今でも心の中で輝き続けています。
大学進学には多額の学費が必要でしたが、両親は一切反対することなく私の希望を叶えてくれました。心から感謝しています。だからこそ、私も娘たちには最大限のサポートをしたいと考えています。私が今こうしてあるのは、間違いなく両親の応援があったからこそです。
大学進学は一つの選択肢にすぎません。娘たちには自分が納得できる人生を歩んでほしいと願っています。私の語る話が、何かの判断材料になれば嬉しいです。今この文章を書きながら、私は心の中でこう誓いました――「どんな状況であっても、君たちの力になるからね」と。
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