2月28日は母親76歳の誕生日。「まじか……もうそんな年なんだな……」月に1回くらいの頻度で会う私は、母親の年を重ねるスピードに付いていけません。話し方、歩き方、食べ方、どれを見ても年齢相応になってきたことを感じます。ただ、気力だけは全盛期と変わらず。元気そのものです。
一緒に食事をした後、私は母親をショッピングに誘います。行き先は「ABC‐MART関マーゴ店」、靴を誕生日プレゼントにしようと考えたのです。触れずに脱ぎ履きできて、かがむ必要がないスリップインするだけ。このキャッチコピーを思い出すと、これだ、母親には必要だ、瞬時の閃きです。
お店に到着すると、平日昼間ならではの閑散とした風景。来客は見当たらず、商品の靴だけが静かに整然と並んでいます。店員の視線が私に注がれる中、緊張と一緒に母親を奥へと誘導。そうなると趣味趣向など分かるはずもなく、ただ横に付いて見守ることしかできません。
情けないような、悲しいような、寂しいような。散々子供のころから母親の姿を見てきたにもかかわらず、何も知らない自分に気づきます。そんな傷心ともいえる私を全く気にせず、靴を物色する母親。無邪気というか、かわいいというか、もう笑うしかありません。
時間が経っても、相変わらず来客は私と母親の二人だけ。「明るい色が好きなの?」と私が聞くと、「そうだね、これがいい」と言って母親がスニーカーを手に取ります。ざわつきのない空間での会話は、真っすぐ耳に届きすぎて気恥ずかしささえ生まれてきます。
レジで精算をしていると、母親が心配そうに横から私を見つめています。「はい、これ」と言って目線を合わすことなく、紙袋に入ったスニーカーを渡します。母親は申し訳なさそうに、「これ(値段が)高かったね、大丈夫?」と私の懐を気遣います。
私は親孝行がしたいのです。とは言いつつも、本当は自己満足なのかもしれません。母親からしてみれば、私に何かをしてほしいとは思っていないはずです。実際に何かを求められたことはなく、「元気でさえいてくれればいい」と私に言います。母親とはそういうものなのでしょうか。
先日見た映画「ほどなく、お別れです」が、まだ余韻として残っているのかも。悔いなく母親とたくさん話がしたい。素直にそう思えます。










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